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【個人演説会_分割投稿】わたしのねっこ(自己紹介をさせていただきます!)

1月18日に個人演説会を開催させていただき、現地・オンラインにそれぞれ参加していただいたみなさまありがとうございました。全国・世界からもコメントいただけたりと反響も大きくあり、今回のような発信にチャレンジして良かったなと感じております。

改めまして、簡単な自己紹介として、どんな経緯で双葉町にきて、何を考えているかを文章したいと思います。(以下、個人演説会の時にも簡単に自己紹介をさせていただきましたのでご覧ください)

サイト内のプロフィールにも記載していますが、私は東京都八王子市出身。1985年生まれの39歳です。
幼少期から野球をずっとやってきて、高校生までは人生の大半は野球をしてきました。その中で、挫折もしたり、葛藤もあったり、私の人格形成は野球をベースにしているといっても過言ではないかなと思います。

人生において、自分の中でも幾度かのターニングポイントがあるのですが、そのひとつの大きなきっかけを与えてくれたのが母校八王子高校で2・3年時の担任をしてくれていた恩師 安芸進(あき すすむ)先生です。安芸先生は水泳部の顧問をされており、プールの無い高校でインターハイ常連の水泳部を作り上げ、過去にはオリンピックにも出場した田中雅美選手も指導されていました。
そんな先生に高校在学時も、その後の進路においても様々相談させてもらっていたのが今でも思い出されます。
その恩師が描いていたのが映像による客観的な選手指導でした。今でこそ主流の手法ですが、その当時はそういった科学的なスポーツ指導をしている方は少なく、ましてや水中カメラなどを使う必要がある水泳の指導ではコストも高く実現も難しいものでした。
私が大学進学したタイミングでNPOスイムサポートを立ち上げられており、『一緒にやってみる?』という声がけをいただいてお手伝いをさせてもらうことになりました。その後に、高校野球部でも映像指導を取り入れたいという話があり、安芸先生が私を推薦してくれ、大学4年間は母校高校野球部の映像指導者として過ごすことになります。
今でこそ、パソコンやカメラ、スマホにタブレットなど、全く苦もなく扱えますが、パソコンの電源も入れたことがない精密機械音痴でした。ただ、やらなきゃ何も始まらない。ということで独学で学び知識をつけていきました。やればなんとかなると思わせてくれた一つの大きな経験でもありました。

野球部時代
NPOスイムサポートでの活動

この指導者時代の経験から、『誰かのポジティブな変化に寄り添う仕事をしていきたい(エンパワメントしたい)』と考えるようになった気がします。その後、映像制作や情報発信 / 営業・企画やコンサルティング / 経営・バックオフィス業務などを経験させてもらいスキルを養ってきましたが、振り返ってみると、そのどれもが、『誰かに求められた時に最大限の力を発揮する』という自分の価値観を体現できるように積み重ねてきたものだったと感じています。

2010年4月に新卒で映像制作会社に入社しますが、約1年後に東日本大震災発災。その後の原発事故を目の当たりにして、社会の仕組みに対する理解とその仕組みにフリーライドしていた自分に腹が立ち、自分にどんなことができるんだろうと考え始めるきっかけとなりました。
その時の葛藤や活動につながる想いは、少し前に取材をしていただき丁寧にまとめていただいたので、こちらをご覧いただけたら嬉しいです。

「この町を壊したのは、自分かもしれない」。ヨソモノだった山根辰洋さんが、“この町での暮らしが幸せ”と言えるようになるまでの13年(greenz.jp)

リンク先記事「この町を壊したのは、自分かもしれない」。ヨソモノだった山根辰洋さんが、“この町での暮らしが幸せ”と言えるようになるまでの13年』より写真転載

支援者としてきた当時(2013年8月-2016年3月頃)は、この町を壊してしまったかもしれない一人として何ができるのかという問いの中で過ごしてきました。
ただ、たくさんの町民の方々に受け入れてもらいここで過ごした時間がそういった勝手な使命感を削ぎ落としてくれ、双葉町をただ好きな場所にしてくれました。
そして今は、ここで人生を送る一人の人間として、双葉町を楽しい場所、魅力的な場所にしていきたいと思っていますし、多くの方と共にまちを作っていきたいと思っています。

山根たつひろ

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