生い立ち
負けず嫌いな幼少期。学生時代は野球中心

1985年7月15日、蟹座B型。小林家三兄弟の次男として誕生。
好奇心旺盛かつ負けず嫌いな性格で、何事にもチャレンジするがうまくいかないと怒り出す幼少時代。
兄の影響で小学校低学年から野球を始め地域野球チームに所属。中学校でも野球を続けたいと考えていたものの、入部の時に顧問がおらず廃部寸前。9名以上の勧誘が条件で存続を許可され、同学年で11名を集めなんとか入部。その後、後輩のいない野球部として活動。3年生の時には主将を務める。
高校時時代の大きな挫折が自己形成の基礎

高校入試にて都立・私立に合格し、両親には都立進学を勧められたものの、強いところで野球がやりたいと考え、説得を押し切り八王子高校に入学。
しかし、同学年の圧倒的な体力差を見せつけられ挫折。うまくいかないことが続きイップス(投球恐怖症)になる。
退部も考えたが、持ち前の負けず嫌いを発揮。このままではダメだと考え、あらゆるメンタル関連書籍を読み解決策を模索。チームメイトに協力してもらい、3メートルのキャッチボールからはじめ、小さな成功体験を積み重ねることで、徐々にイップスを克服。気持ちの揺らぎを減らし克服する術を身につけることができた原体験。
選手としての難しさを理解し裏方へ。最後は記録員としてチームに協力。
恩師が導いてくれた映像への道

野球部引退後は、大学進学を目指し入試に臨むも不合格。2浪の末、なんとか法政大学へ進学。
高校3年時の恩師に合格の報告に行った際に、映像を使ったスポーツ指導を恩師が始めたことを聞き、先生が設立したNPO法人スイムサポートに参画させてもらう。水中映像撮影や映像解析ソフトウェアを独学で学び始める。
その後、八王子高校野球部での映像指導導入が決まり、映像コーチとしてチームに参画。参画2年目のチームが東京都予選で決勝に進むも惜しくも敗退。この4年間の経験が社会人のベースとなったと感じている。
大学4年生時に就職活動をするが、自分のやりたいことを見つけられず3ヶ月で終了。NPO法人スイムサポートを通じて出会った映像制作会社に就職。
東日本大震災を契機に社会とは何かを考える

新卒就職した映像制作会社で1年が経とうとしていた2011年3月11日。神奈川県横浜市で地震を体験。その後の原子力発電所事故では情報が錯綜し、(避難市町村の比ではないですが)大混乱。周囲は避難をしようと慌てている様子もあったが、曖昧な情報で決断してはいけないと思い、可能な限り正しい情報を探し続ける。
その時に初めて、原子力発電所の存在や電気の仕組みを知り、事故のことよりも社会の仕組みに対して自分が如何に無知であったかを理解し愕然とする。
そんな体験から、社会に対してダイレクトに貢献できる仕事を模索。その年の12月に映像制作会社を退社。
できることを模索し、復興支援を仕事に

2012年4月に企業や行政の復興支援事業の企画・運営をする一般社団法人RCFに入社。要求される高いスキルとめまぐるしく変化するプロジェクトについていくことがやっとであったが、プロジェクトマネジメントに必要な経験とスキルを得る機会となる。
2012年12月に埼玉県加須市の双葉町役場(旧騎西高校)に訪問。未だ残る避難所の様子を初めて目の当たりにし、原子力災害の復旧・復興の困難さを理解。その時、体育館で避難生活を送る町民の方とお話しし「双葉町のことをよろしくね」と硬く手を握られたことが今でも印象に残っている。
その後、双葉町復興支援員(秘書広報課)への参画チャンスがあり志願。2013年8月12日より福島県いわき市に移住し、委嘱職員となる。
復興支援員としてコミュニティ支援業務に従事

復興支援員の使命は、全国約40都道府県に散り散りになった町民コミュニティ維持・発展を支援することであったが、正直何をしていいかもわからない状況からスタート。町民みなさんのお話を聞くことから始めるしかないと考え、お会いできる機会を見つけ行脚。
その中で、「知人・友人・隣人の安否」を心配する声を多く聞き、町民みなさんの顔が見える広報紙を作ろうということでコミュニティ紙ふたばのわを発刊。また、タブレット端末配布が決まり、その導入を支援。端末配布後はインターネットでの情報発信に力を入れるなど、環境や課題の変化に合わせて柔軟に自分の役割を変化させ、その時々でできることに全力で取り組む。
結婚、家族ができ、支援者から当事者へ
そして、双葉町が人生に

2016年4月から、福島県内の一般社団法人ONE福島に転職し、より地域に密着した立場で仕事を開始。事業管理者として、大熊町・双葉町の事業運営を担当。事業計画・進捗管理、人材育成、予算管理、事業報告など一連の管理実務を経験。
2016年9月に結婚し双葉町民(旧姓:小林)となり、娘が2人生まれ家族ができたことで、支援者から町を作っていく当事者となり、双葉町が人生そのものになっていくような感覚を持つようになる。
またこの間に、双葉町の避難指示解除の目処が立ち、双葉町での生活が現実味を帯びてきたことで、双葉町を軸に現実的な生活環境づくりをしたいと考えるようになり、2019年5月に独立。同年11月に一般社団法人双葉郡地域観光研究協会(通称:F-ATRAs)を設立。代表理事に就任し、地域観光活性と生業づくりに奮闘中。
経歴
1985年7月15日 | 東京都八王子市にて生誕 |
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2004年3月 | 八王子学園八王子高等学校 卒業 |
2006年4月-2010年3月 | 法政大学 経済学部経済学科入学・卒業大学在学時に、八王子学園八王子高等学校野球部コーチ就任。映像を活用したコーチングを実践 |
2010年4月 – 2011年12月 | 制作会社にて、映像撮影・編集・Web広告業務などに従事 |
2012年4月-2014年3月 | 東京テクノスカレッジ講師に就任。映像を活用したスポーツビジネスに関する授業を担当 |
2012年4月-2016年3月 | 一般社団法人RCFにて震災復興に関わる業務に従事 |
2013年8月-2016年3月 | 双葉町復興支援員として、秘書広報課配属。タブレット配布事業や広報紙『ふたばのわ』制作に携わる |
2016年4月-2019年5月 | 一般社団法人ONE福島にて、双葉町・大熊町の事業受託責任者となり、復興支援員マネジメント業務を担当 |
2016年9月 | 双葉町民と結婚し、山根姓(旧姓:小林)となる。家族での双葉町帰町を見据え、2019年5月に独立。フリーランスとなる。 |
2019年3月-2023年3月 | 県営住宅勿来酒井団地自治会立上げに携わり、事務局長就任 |
2019年11月 | 観光による地域再生を目指す一般社団法人双葉郡地域観光研究協会を設立。代表理事に就任。行政・民間企業と連携し、浜通り地域の観光振興に関する事業を複数推進。 |
2021年1月 | 双葉町議会議員選挙に初挑戦し当選。産業厚生常任委員会委員長(2021年1月-2023年1月)、議会運営委員会副委員長(2021年1月-2023年1月)、産業厚生常任委員会副委員長(2023年1月-)、双葉地方広域市町村圏組合消防厚生常任委員会委員長(2024年4月-)、双葉地方広域市町村圏組合議会運営委員会副委員長(2024年4月-)を歴任 |
2023年3月 | 家族5人で双葉町に生活を移し、双葉町での暮らしをスタート。 |
その他、一般社団法人サンクスフラワープロジェクト(理事)、一般社団法人双葉郡未来会議(理事)、一般社団法人大熊未来塾(理事)、標葉せんだん太鼓保存会(打ち手・広報)、相馬妙見宮初発神社(青年会)、新山神社(氏子総代)、双葉町消防団第1分団、未来双葉会(事務局・会計)、F-BICCイベント実行委員会(事務局次長)に所属。
実績
- 全ての機会で一般質問を実施(16回/16議会)
- 産業厚生常任委員会委員長在籍時に6回の委員会報告を実施
- 盆踊りや伝統芸能披露イベント等の事務局を複数担い、イベント開催を複数実現
- 観光法人代表として、地域の観光振興に取り組み地域活性化に寄与